浜頓別の上水道のあゆみ
浜頓別町はもともと水利が悪く、頓別地区では150戸に対して20戸に1ヶ所の井戸が存在するのみという状態でした。
大正5年(1916年) | 枝幸村から頓別に役場を設置(1,120戸、4,700人) |
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大正11年(1922年) | 宗谷線(旧天北線)が稚内まで開通 |
昭和11年(1936年) | 興浜北線開通 |
昭和15年(1940年) | 下頓別地区で鉄道用水として国鉄宿舎に給水開始 |
昭和20年(1945年) | 太平洋戦争終戦 |
昭和26年(1951年) | 町政執行(1,373世帯、7,787人) |
昭和28年(1953年) | 下頓別地区で上水道整備の住民要望があがる。 |
昭和29年(1984年) | 鉄道用水を鉄道と共用で簡易水道として給水開始 |
昭和30年(1955年) | 町政構想の第一に「水」を取り上げ、10月議会に提案、全会一致で可決、直ちに認可申請を行う。 |
昭和31年(1956年) | 3月26日に町水道新設工事が認可、起債300万円が認められる。豊寒別川に水源を求め、10月に起工式、3ヶ年の継続工事を予定し、総工費8,600万円、右の沢水源地から導水管路の施工が工事費300万円で始まる。 |
昭和32年(1957年) | 豊寒別川水利権許可(取水量:2,332m3/日)を得て、11月工事の一部完成と同時に送水開始 |
昭和33年(1958年) | 頓別地区の配水管工事が行われ、11月15日送水開始 |
昭和35年(1960年) | 5ヶ年の工期と総工費7,700万円を要し、10月に上水道事業完成(給水人口7,500人、一日の給水量2,800トン) |
昭和36年(1961年) | 5月にポン仁達内地区で水道期成会が発足、国営開墾建設事業の一環として工事が行われ、12月から給水開始 |
昭和37年(1962年) | ポン仁達内地区が簡易水道として完成 |
昭和38年(1963年) | 国営開墾建設事業ポン仁達内地区が町へ管理委託される。 |
昭和38年(1963年) | 下頓別地区で簡易水道の改良工事着手(工事費1,300万円、配水池、濾過池、配水管等新設) |
昭和40年(1965年) | 下頓別地区簡易水道竣工、230戸に給水開始 |
昭和47年(1965年) | かんばつ時に水源地の取水が困難となることがおこる。(1,849世帯、7,097人) |
昭和51年(1976年) | 5月以降かんばつ続きで未曾有の水不足、断水、時間給水で急場をしのぎ、生活用水確保のためタンク車で給水を続ける。8月に町幹部に漁業協同組合、農業協同組合の代表者を交え緊急水対策会議を開催し、18項目の方針を打ち出す。特に上水道拡張計画の早期実現を最重要課題に検討策定作業を進める。 |
昭和51年(1986年) | 共和・安別営農用水施設工事着手 |
昭和52年(1977年) | 浜頓別町上水道事業変更認可(下頓別・ポンニタチナイ地区統合)を行い、2ヶ年計画で9月に上水道第1期拡張工事着手、一部を国営農用地開発事業営農用水事業と併せ、総額8億6,800万円を投じる。 |
昭和52年(1977年) | ウソタンナイ川水利権許可(取水量:6,160m3/日) |
昭和53年(1978年) | 第1期拡張工事完成(水源はウソタンナイ川上流、給水量5600トン、計画給水人口6,500人) |
昭和56年(1981年) | 斜内地区水道工事完成 |
昭和56年(1981年) | 共和・安別営農用水施設工事完成 |
平成9年(1997年) | 水道普及率96%を超える |
平成10年(1998年) | 上水道事業から簡易水道事業へ変更認可を行う。(第2期拡張、共和・安別地区統合、給水区域が全町を網羅、計画給水量5,580トン、計画給水人口4,910人) |
平成10年(1999年) | ウソタンナイ川水利権変更許可(取水量:6,138m3/日) |
平成10年(1998年) | 第2期拡張工事〔1期地区(第2配水区:仁達内・共和・安別地区)〕道営畑地帯総合整備事業(営農用水)と簡易水道事業との共同事業で着手、事業費約10億円 |
平成11年(1999年) | 1期地区、第1送水管路、第2送水管路着手 |
平成13年(2001年) | 1期地区、ポンプ場、配水池、量水器室、第2配水管路完成、配水管工事着手 |
平成14年(2002年) | 1期地区完成予定 |
平成14年(2002年) | 2期地区(1期地区以外の全町)実施設計着手、総事業費約45億円 |
平成15年(2003年) | 2期地区着手(配水管、ポンプ場、浄水場) |
平成21年(2009年) | 2期地区完成 |
平成21年(2009年) | 第2期拡張工事完成 |